*- 我が思い出のクリスマス -*
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 クリスマス・・・一番最初の記憶を辿ると、昭和40年代の初め頃。
温かで甘く、とても良い香りの中から始まる。今では、手作りケーキの
お店などは、どの町にもあり、いつでも手に入る物ですが、当時はまだ
あまり無かったように記憶しています。母の実家から歩いて数分、市場
に魚を運ぶディーゼル機関車専用の線路の脇に、小さなケーキ工場があ
りました。クリスマス近くになると、祖母が手を引いて、その工場に連
れて行ってくれて、クリスマスケーキの予約をしてくれました。今のよ
うに、フワフワのスポンジケーキでもなく、生クリームでもなく、当時
はまだカステラのようなスポンジにバターの匂いが残っているような、
バタークリームに、真っ赤なドレンチェリー、ウエハースとお砂糖で作
った煙突付きの家と、ロウソクで作ったサンタさんが乗っかっている、
とても素朴なケーキでした。焼き上がりのスポンジの湯気の香りは、今
でも鮮明に思い出されます。あれは、小麦粉ではなく、とうもろこしの
粉で作られていたのではないかと、今になって思うのです。

 しかし、大抵のクリスマスは、風邪を引いて寝込んでいるひ弱な私は
目の前のケーキに手を伸ばすことなく、見ているだけ。父が可哀想に思
ったのでしょう、どこからかクリスマスの電飾を買って来て、ベッドの
周りを飾ってくれました。時間差で点いたり消えたりする、ちょっと
毒々しい赤や青や黄色の電飾。部屋の電気を消してもらい、じっと眺め
ていると、マッチ売りの少女の、あのマッチの灯りのように、その時は
胸の痛みも喉の痛みも忘れらるように思えたのです。

 小学校へ行くようになり、体力も幾分かついた頃、ようやくクリスマ
スケーキを食べられるようになり、その頃には町にもケーキ屋さんが沢
山出来てしまって、あのケーキ工場も移転し、もう焼き上がりの湯気の
香りも楽しめなくなってしまいました。

 クリスマスなどにはあまり興味のなかった母は、クリスマスの飾りな
ど全くしませんでした。殺風景ないつもの部屋に、父が買ってくれたあの
懐かしい電飾だけがどこかで光っていたように思います。

 自分で作ったクリスマス飾りは、折り紙を短冊に切って輪に止めてゆ
くお粗末な物でしたが、それでも作っている時はとても幸せな、なにか
特別な時でした。ツリーは買ってもらえなかったので、盆栽に飾った
ように記憶しています。すると父が、どこからか綿を持ってきて、その
盆栽に、切っては乗せ、切っては乗せして、雪を作ってくれました。

 そうそう、忘れてはいけないのが、まだ幼稚園に行くか行かないかの
時だったと思います。大阪にすればとても珍しい事ですが、雪が積もっ
た事があったんです。北国育ちの父は、大急ぎで板を器用に切って、兄
と私が乗れるぐらいのソリを作ってくれたました。まだ当時は、そんな
に車も走っていなかったので、道路でソリ遊びをして遊ばせてくれまし
た。こんな話をすると、息子たちは信じられないような顔をします。
それ以後、クリスマスに雪が降り積もった事はありませんから・・・。

 今年ももうすぐ来るクリスマス。ケーキを毎年買ってくれた祖母も、
電飾や綿の雪を飾ってくれた父も、今はもういません。穏やかに、あの
クリスマスを思い出せる今。私は家族と過ごせるクリスマス、幸せを
噛み締めつつ過ごします。息子たちはどんな風に、クリスマスを記憶して
くれるでしょうか。

 今年もメリークリスマス。どうぞ素敵なクリスマスをお過ごし下さい。


               2005.12.04 P-saphire



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Graphic Photo by Pari's Wind