〜 両槻会第六回定例会 〜
2008年1月14日

* 西飛鳥古墳めぐりと男綱勧請綱掛神事 *
(その4)
両槻会作成の地図2をご参考にして下さい。
 岩屋山古墳の入り口です。

被葬者は、誰!?

古墳の規模や緻密な石室から、斉明(さいめい)天皇や吉備姫王(欽明天皇の皇子茅渟王の妃)じゃないだろうかと言われていますが・・・今の所まだわかっていません。

しかし・・・上方の墳形が八角形ならば、斉明天皇説が有力になりますが、同形石室が沢山ある点に疑問が残るそうですね・・・。しかし、相当の権力がなければ、こんなに緻密さで出来ないでしょう。
<飛鳥石:石英閃緑岩>です。手で撫でてみました。綺麗に表面が平らに加工されているのが良く分かりました。つるつるとしていて、ヒンヤリ。ワインでも貯蔵すると良いだろうな〜などと、大馬鹿者の想像をしていました。(笑)
切石の隙間は、ご覧のように、丁寧に漆喰(しっくい)が塗り込められています。

コンクリートじゃないのか?後から崩れないようにコンクリートを詰めたのでは?と言う憶測もありますが、どうやら当時から漆喰が塗り込められているというのが本当らしいです。(笑)

当時からこんな技術と言うか、ちゃんと思いつかれていたんですね・・・。
 実際、中は暗いです。某さんの手が映っていますが、ライトで照らして下さっていましたので、辛うじて見られました。行かれる時はライトと磁石は必需品かも。

 私はカメラのフラッシュで撮影しましたので、綺麗に写っていますが、実際ライトが無いと、何も見えません。
羨門部(赤い円の中)の天井石には一本の溝が掘られています。

「扉があって、開閉していたのでは」と言う意見がありましたが、どうやら違うようです。なぜなら・・・下の画像にそのヒントがあります。
足元をすみません。(^^;

もし扉であるなら、下にも同じような溝が無ければ成立しないと言うことです。

なので

上の溝は、外からの雨水などが天井石に伝わって中に入ろうとするのを、この溝で遮るように作られていたのだろうと言うお話でした。そこまでちゃんと計算されていたのですね・・・。
 さてさて、岡寺からぐるりと西飛鳥古墳群をめぐり、やっと飛鳥駅に到着しました。

ここからバスで石舞台まで行きます。乗車の時に自動発行チケットを受け取り250円の道のりです。
石舞台でバスを下車し、石舞台を右手に見ながら坂道を登ってゆくと<祝戸(いわいど)>の標識が見えてきます。これを目印に右・・・。

先方には飛鳥の棚田が見えます。今の時期稲も刈り取られて、休息しているようです。

三月ごろになると、梅や桃の花が咲き、菜の花の黄色も沿道を彩ってくれます。

昼食までまだ少し時間が・・・ってことで、もう一つ古墳を見ることに。
都塚古墳:みやこづかこふん>です。道路脇にあり、目立ちそうですが、意外と通り過ぎてしまう質素さです。(笑)

奥の石棺が見えますでしょうか。ピントが柵にドンピシャになってしまって、石棺が見え難いです。すみません。
別名「金鳥(きんちょう)塚」と呼ばれています。元日の朝、ここで金の鳥が鳴くと言い伝えのある古墳です。事の真意は別にして、そのいわれを知りたくなりました。(笑)直径約10mの円墳です。

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