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〜 両槻会第七・八回<道長が見た飛鳥>下見 〜 2008年2月23日 (その3) 川原バス停〜女渕編 |
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さてさて、栢森でタクシーを下車し、山道を登りだした。ある納屋の軒下に、とても可愛らしい案山子さんが置かれていました。昨年の秋に行われた<稲淵の案山子コンテスト>にだされた案山子さんらしいです。木登りしていました。なんともほんわかとさせてもらいました。さっきのバスの一件が吹き飛んだ感じ。 |
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<加夜奈留美命神社 :カヤナルミノミコトジンジャ> |
【 加夜奈留美命神社 】 加夜奈留美命(かやなるみのみこと)は飛鳥の神奈備(かむなび:神霊の鎮まる山森のこと) に坐して、皇孫(次期天皇)の守護をした神様です。 一説によると・・・高照姫命(たかてるひめのみこと:大国主神の娘神で八重事代主神の妹神) のことじゃないかと「五郡神社記」や「大神分身類社鈔」などには書かれています。 また、もう一説には「賀屋鳴比女」だとも書かれていて、良く分かりません。 (あ、私にはですが) 飛鳥神の裔神(すそがみ:末社の祭神)とされる。 (飛鳥神とは・・・天太玉神・櫛玉神・臼滝神などを言う) 「三代実録」によると・・・貞観元年(859年、天安三年)に 大和国 従五位下 賀夜奈流美神に 正四位下を授けたとあり、 四裔神のなかでは最も神位が高いとされた。 飛鳥神奈備は天長六年(829年)鳥形山(現明日香村飛鳥)に移されたが、 その後も賀夜奈留美神の本霊は旧地(この土地)にとどまった。 |
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社は小さいが、今でも村人の信仰の対象とされているようで、この雪交じりの寒い日でも、村の人たちが綺麗に境内を掃除なさっていました。 |
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境内の端っこに、ちょこんとあった<百度石>一体どれぐらいの願を聞いて来たのだろうか・・・。 |
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加夜奈留美命神社の横の道を、また山へと進む。 「もうすぐここから眺める景色には、沢山の鯉幟が立つんですよ」そう風人さんが仰った。カメラマンの格好の被写体となるのだそうですが・・・鯉幟の時期はまだもう少し先。その頃にもう一度訪ねてみようか・・・。 |
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コンクリートの道から、腐葉土を敷き詰めたような、ふかふかの道へと替わる。これがなんとも足には優しいクッションとなる。フワフワ〜としてて、とても気持ちがいい。 |
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だんだん山の中に踏み入り出した。 |
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川幅が段々狭くなってきた・・・まだ行くのか?所々ぬかるんだ所があり、足を滑らせそうになりながら、ズンズン進む。 |
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すると正面に滝が見えてくる。これが<女渕:めぶち>です。 この淵の滝壷には水の神様が宿っていると言われています。 |
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これが滝壺・・・深そうです。色が濃いですもんね・・・。 |
【 女渕:滝壷 】 高さ・・・5〜6mぐらいでしょうか。深さは6m以上あると言う噂。 この滝壺は竜宮に通じる穴があると言われている。ここから1.5kmぐらい上流 には、男淵があり、女淵には女神、男淵には男神が住むと言い伝えられている。 周囲の木々が、またそれを物語るように鬱蒼と茂っていました。 一人で来るのは止めたほうが良さそうですよ、女性の方は。 「日本書紀」にもこの淵の記述があり、皇極天皇(642年)の時代 「8月の甲申の朔(ついたち)に、天皇、南淵の河上にお出ましになり 、跪(ひざまづ)いて四方を拝し、天を仰ぎてお祈りになられた。する とたちまち雷が鳴って大雨になり、とうとう五日も降り続き、あまねく 国中をうるおした。そこで国中の百姓はみなともに喜び、すぐれた徳を お持ちの天皇だと、申し上げた。」と書かれています。(両槻会作成の冊子より) 天皇自らこの地に赴き、雨乞いをなされた・・・と言うから、霊験あらたかなのでしょうね。 昭和初期までは、ここで雨乞いが実際に行われてきたそうですよ。 |
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画像のやや真ん中寄りに小さな四角い看板があるのが見えますか?あれに女渕のいわれが書かれてあるらしいのですが・・・道路から見えるかい!!もっと手前に立てて欲しい〜(涙) |
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栢森の段々畑。画像中央の奥に見えるのが栢森の集落です。今度はあそこを目標に歩きます・・・。 |