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*  龍門寺オフ その2  *
2008年4月29日(火)

【 ベニバナハナミズキ 】

 *ミズキ科 ヤマボウシ属

 *別名:アメリカヤマボウシ

 日本からアメリカへ贈られた桜:ソメイヨシノ(ワシントンのポトマック湖畔に植栽されている)の返礼として日本にもたらされた花です。


花弁のように見えるのは、総苞片。

花は中心の緑色の部分です。
 総苞片を広げると、花が見えますね。これはまだ花が咲いていません。これから緑色の粒ひとつひとつが開きます。
 吉野山口神社の脇に通っている道が、伊勢街道。その道を山の方へと歩を進めると、道標がありました。龍門の滝を目指すことにします。  
 のどかな田園風景の中を歩いてゆくと、だんだん道幅が狭くなり、山に入ってきたな〜と思います。

 今までアスファルトの道を歩いてきましたが、ようやくこの辺りから落葉が道を埋めだしているので、足は随分楽です。。。。と、思ったのは間違い。ここからが坂の勾配がきつくなって行きます。

 山歩きのなれた人たちなので、写真を撮影したり、植物の観察をしている人間は、ずんずんと取り残されて行きました。(涙)
 ナルコユリ か アマドコロ か?

 見分け方は・・・茎

 茎の断面が丸い → ナルコユリ
 茎の断面が四角 → アマドコロ

これが一番良く判る見分け方だそうです。

この両者にとてもよく似ている植物がもう一つありますホウチャクソウです。

 見分け方は・・・枝分かれ

よく見てください。画像の植物、茎の途中から枝分かれしているのが判りますか?これがホウチャクソウの一番の特徴です。

 【 ホウチャクソウ:宝鐸草 】

 *ユリ科 チゴユリ属

 宝鐸とは、お寺の軒先にぶら下がっている風鐸の事です。
 【 マムシグサ 】

 *サトイモ科 テンナンショウ属

 山道で出会うと、ちょっと引いちゃいますよね・・・やや不気味に見えます。結構大きいですしね。

 茎を見てください。白と茶色のマダラ模様になっていますね。これがマムシグサの特徴です。蛇の種類(マムシ)に似ていることから名前が付きました。

 これは有毒なので、食べないで下さい。コンニャクに似ているので、たまに食べる人がいるようですが、食べない方がいいですよ・・・。
 これも外側の緑色のは苞(ほう)で、仏炎包(ぶつえんほう)と呼びます。地域によっては褐色になることもあります。苞に守られた中(微かに白っぽく長細い物が見えると思いますが、この下、いわゆる苞の付け根部分に花があります。秋には橙色のトウモロコシに似た果実を持ちます。

 風人さんが「食虫植物にあったようね、良く似たヤツが」と仰いました。確かに食虫植物のウツボカズラに似ていますが、カズラと言うだけあってウツボカズラは一般的につる性です。

 自分で受粉が出来ないので、ハエなどの羽虫に入ってもらい、受粉させてもらいますが、羽虫たちはここから外に出られずに中で死んでしまいます。
 【 チゴユリ:稚児百合 】

 *ユリ科 チゴユリ属

 ホウチャクソウ、アマドコロ、ナルコユリ、チゴユリ・・・そっくりです。チゴユリはしっかり花びらが開きますので、この姿を覚えていると大丈夫ですが、オオチゴユリというのもありますので、野草の名前は難しいです。

 見分け方・・・シベの付き方

 オオチゴユリは雌しべが長く、先が大きく裂ける。

 と言う事で、雄しべ、雌しべともに同じ長さなので、これはチゴユリですね。
 【 オオバタネツケバナ 】

 *アブラナ科 タネツケバナ属

 湿地帯に生息するアブラナ科は、なかなか見分けが付かない。

 *葉が羽状複葉
 
 *頂小葉が側小葉に比べてかなり大きい。

 *側小葉が1〜6対

 *卵形〜長楕円形で、縁は不規則に切れ込む。

 このことから、オオバタネツケバナと判断しました。

 天然のクレソンをずっと探しているのですが、関西の沢では滅多に見かけることがありません。クレソンは帰化植物なので、自然の流れとして生息していない方が良いのですが・・・天然のクレソンを食べてみたい気持ちもあります。(笑)
 さてさて、一行に遅れまいと、エッチラオッチラと山道を進む。そろそろ足の脹脛(ふくらはぎ)辺りが痛くなりそうな気配。そして空腹・・・。実はこれが一番辛かったりする。(笑)

 吉野山口神社ですでにお昼の12時30分を過ぎていた。空腹もピークに達している頃、ようやく目的地に到着。
 【 竜門の滝 】

  元禄元年(1688年)には、俳聖松尾芭蕉もここを訪れて、次の二句を残しています。

 酒呑みに 語らんかかる 滝の花

 龍門の花や 上戸のつとにせん


 竜門の滝を酒にみたてて詠んだ句です。つと・・・とは、土産の事。

 「扶桑略記:ふそうりゃくき」によると・・・
  久米、大伴、安曇と、三人の仙人がこの滝に打たれて修行をし、仙術を得たと言う。
  
  仙人になれば<不老不死>を手に入れる事が出来ると言い伝えられていて、都人は
  こぞってこの仙術を得ようと、この地を訪れたのではないかと思われます。いやしかし、
  都のひ弱な貴族たちが、仙術を得ようとして真剣に修行をしたとは考えられず・・・・。
  結局は、修行とかこつけて、みんなでワイワイと酒盛りしたのではないだろうか。(笑)

 ここで一つ・・・久米仙人について、滝川先生から頂いた資料に基づき、かなり私の思い
 込みを含めて書いてみたいと思います。

 【 久米仙人: くめせんにん 】

 むか〜しむかし、大和の国は吉野に、龍門寺と言うお寺があったそうな。
 この地で二人が修行をしていた。一人は安曇(あずみ)もう一人は久米(くめ)と言う。
 安曇は先に仙術を得て、すでに空を飛ぶ事も出来たそうな。

 後に久米も仙術を得て、空を飛びわたる事が出来るようになった、そんなある日・・・。
 吉野川の辺りで、若くて綺麗な女性が川で着物を洗っているのを見つけた久米仙人。
 空からじーーーーっとその女性を見ていたら、ふくらはぎまで着物をたくしあげて洗濯す
 るその女性の、白い足に気をとられて、その女性の前に落っこちてしまった。

 よほどその女性を気に入ったと見えて、久米仙人はこの女性を妻にめとり、ただの人間
 に戻ってしまった。丁度其の頃、天皇が吉野の高市に都を造ろうと人夫を集めたが、久
 米仙人も人夫として召し出されてしまった。人夫の間で久米仙人は「仙人、仙人」と呼ば
 れる事となった。今で言うあだ名ですね。

 その声を聞いて役人が「お前、なんでアイツを仙人と呼ぶんじゃ?」と聞いた。すると、
 龍門寺で修行をして、仙人となって・・・と今までの経緯を話したそうな。その話が伝わって
 偉い役人たちは、「都を造る材木、人間が運ぶよりも久米の仙力で空を飛ばして運ばせ
 たら早く仕事が済むではないか」と言い出し、さてさて久米仙人、困った困った・・・。仙力
 を失ってただのおっさんになってしまっていたのに、どうすりゃいいんだ?と頭を悩ませた
 。と、その時、ふと頭を過ぎったのは「元々修行をしていた身なので、ご本尊に祈れば
 なんとか助けてくれるでしょう」と、言ったかどうか知らないけど、久米仙人、静かな道場に
 籠もって、身心清浄にし、食を断ち、七日七夜不断に礼拝恭敬して祈りに祈った。

 けれど七日既に過ぎ、役人達は「出来もせん事を大ホラ吹いて・・・」と嘲り笑っていたが、
 八日目の朝、一天俄に空曇り、真っ暗な夜のようになり、雷が轟き雨が降り、ほとんど辺り
 が見えなくなった。「なんじゃなんじゃ???」と思っている間、雷は止み空が晴れてきた。
 南の空をふとみれば、大中小様々な材木が、材木を切り出そうとしていた山から空を飛び
 都を造ろうとしているまさしくその場所に降って来た。今まで嘲り笑っていた役人達が、久米
 を敬い拝してこの事を天皇に告げた。天皇はその話を聞き、貴び敬い、田を三丁久米に施
 し与え、久米は喜んでこの田に一つの伽藍を建てた。それが今日の久米寺となった。

 その後、高野山の大師が久米寺に丈六の薬師三尊を銅で造って奉納し、この寺で大日経
 を見付けこれを本として「すばやく仏になれる教本」として唐へ真言を習いに渡って行った。

 めでたしめでたし・・・・。(今昔物語集:巻十一より)

 久米仙人、とても人間臭い仙人でね。おもろいおっさんって感じがしました。あ、これは
 資料に基づきながら、私の主観が随分入った文章です。ご無礼を〜〜。m(__)m


 これが竜門の滝です。上から見ると大したことはありませんが、下へ降りた人の話によると、なかなか良い感じの滝だそうで・・・もうすでに足が痛いので、勇気ある撤退で私は下まで行かず上から眺めていました。ちゃんと下りられるように手すりがありますが、なかなか急な坂道になっています。
 【 龍門寺塔跡 】

 看板を確認して、この付近でやっと昼食を頂ける事になりました。

 家からお弁当を持参しましたが、画像を撮る間もなく、すっかりしっかりお腹の中に納まっちゃいました。デザートは文旦とイチゴロールケーキ1個。しかし・・・このイチゴロールケーキが失敗の元。駅構内の売店でO−さんが買ってくれたけど、甘すぎて甘すぎて・・・その後しばらく胸焼け。
 これがその塔の跡です。ちょうどこの画像の左下に滝が流れています。当時、樹木もそんなに生長していなかっただろうから、ここからの見晴らしは良かったのではなかろうかと推測する。広さからして五重塔ではなく、三重塔でしょうね。
 これが今も残る礎石。心礎は花崗岩(かこうがん)の表面を平らにし、中央に直径24cm、深さ9cmぐらいの円形の孔を彫り、くぼめてあるが、舎利を納めるような特別な物ではないらしい。

 四隅の礎石には、直径21cmほどの円形穴を穿っているのは珍しいらしい。(って、どう珍しいのが判らないが・・・)四天柱を受ける礎石が無いのも変わっている。場所が狭いので、出入りを考慮し、また中央の間の幅を最大限にとったため、脇の間はきわめて狭くなり、四天柱も意味がなくなったのではないかと見られている。確かに、今回の参加者19名がこの場所に立つと、狭い。(><)

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