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〜 両槻会第七・八回<道長が見た飛鳥>下見 〜 2008年2月23日 (その6) 於美阿志神社〜飛鳥駅編 |
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何も詳しいことが書かれていません。そんなもんですかね・・・(涙) 祠の後方が金堂跡土壇だそうです。 |
【 於美阿志神社:おみあしじんじゃ 】 東漢(やまとのあや)一族の祖と言われる阿知使主(あちのおみ)を祭神として祀っている。 於美阿志(おみあし)は「使主阿知(おみあち)」が転化したものらしい。 『日本書紀』によると応神天皇20年に阿智使主が一族を率いて渡来し 高市郡一体に居住を構えたが、その後その一族の中から 雄略天皇の時代に活躍した身狭村主青(むさのすぐりあお)や 檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)を輩出させている。 二人は呉の国に派遣され、織機技術を持った者たちを連れて戻り 身狭村主青は少し北側の牟佐座神社の当たりを中心に居住し集団の長となり 檜隈民使博徳は檜隈を中心に居住した集団の長となったと記されている。 |
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檜隈の地に宮地を定めたのは宣化天皇だけなのだそうです。何故にこの地に?当時渡来人が多く住んでいたこの地は、最先端の技術が結集されていたからではないかと言われている。 当時の塔心礎ですが、水の抜け穴がある珍しい塔心礎です。こうして見ると小さく見えますが・・・ |
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実は、こんなに大きいんです。(笑) |
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発掘では、瓦が積み重ねられて作られた土手だったのがわかりました。 |
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上の写真とほぼ同じ位置がここです。今はまた埋め戻されていますので、瓦の積み重なったのは見て取る事は出来ません。 |
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これが於美阿志神社の正面の鳥居。 |
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え?郵便局ですか? 民家の壁に<〒>の看板を見つけた。周囲にどなたもいらっしゃらなかったので、結局本当の話はわかりませんでした。この画像の左に、小さなポストが置かれていました。やはり郵便局なのでしょうか? |
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やっと飛鳥駅前に到着。ここでやっとこの日最初の温かいコーヒーを頂き、橿原神宮前駅東口から少し行ったところの串揚げのお店<さわ>さんで、美味しい串揚げを頂きました。寒かったし、足が痛かったですが、栢森・女渕から飛鳥駅まで初めて歩く事が出来ました。みなさん、ありがとうございました!!本番は3月22日です。また宜しくお願い致します。 m(__)m 両槻会は、飛鳥を楽しみたい人の会です。 |