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〜 両槻会第七回<道長が見た飛鳥> 〜
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2008年3月22日

 バスを待ち、最寄り駅経由で大阪阿部野橋橋駅へ出て(昔はあべの橋と呼んでいたのに)、お寿司の詰め合わせ弁当なる物を買い、リュックに入れてある。普通なら自分でお弁当ぐらい作るのだが、今日は他にお弁当を必要とする人間がいなかった為、少し楽をさせてもらった。贅沢にも近鉄特急に乗り(¥500円余分に)、優雅に指定席で、事前にメールを頂いた資料を印刷した物に目を通す。(ほとんど頭に入らず早くも挫折気味か?)ふらふら〜と橿原神宮前駅に降り立った。かめバスを待っていると、今回参加される方や事務局員さんたちがゾロゾロとやって来た。
 今回は、ちゃんと赤かめバスに乗せてもらえて(この事件は前回の下見レポをご覧下さい)あっという間に<明日香奥山バス停>でバスを下車。小銭で¥260円支払う。明日香資料館を越えて道を進むと山田寺阯へ出る。ここで真神原風人さんが、山田寺の配置や、東の回廊の位置などを説明して下さった。これは前回の下見でもきっちり話して下さったので、理解しているvv

 前回と違う所は・・・陽気ですね。この日はすこぶる上天気で、暑いくらいだった。これは参加者みなさんの熱意がそうさせたのではないだろうか?と思えるくらいの暑さだった。
【 東面回廊 】

 山田寺では、塔と金堂のある中心区画の四方を回廊が囲んでいました。東面回廊の発掘調査では、建物全体が屋根瓦もろとも西向きに倒れた状態で見つかりました。

 蓮弁(れんべん)を彫刻した礎石(そせき)や基檀(きだん)の縁石(ふしいし)がほぼ完全に残っており、東面回廊は南北二十三間86.9m、基檀幅6.4mの規模であった事がわかりました。また、柱や連子窓(れんじまど)など多くの建築部材や表面に白土を塗った壁土が残っており、古代の建築技術を知る貴重な資料となりました。北から十三・十四・十五間目の部材はとくによく残っていた事から、保存処理を施した上、元の形に組み上げ、明日香資料館で展示しています。

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と、説明書きが置かれていた。前回見落としていた場所に・・・。
 一緒に行った事務局員(植物担当)笑いねこさんが<タネツケバナ>でも、湿原に咲くのと、普通の草原に咲くのとでは、種類が違う事を教えてくれた。先日の某大学薬科植物園での発表があったとか・・・どう違うのか、今度湿原のタネツケバナを探して調べる事を約束した。私は湿原でのこの花は見た記憶がない。しかし、普通タネツケバナと言うのは、湿った場所に咲くらしい。と言う事は、普段草原で見かけるタネツケバナは、別名があるのだろうか?今後の課題だ。
 【 野路菫:ノジスミレ 】

 スミレととても良く似ていますが、花期がスミレより早く、三月中旬ごろから咲き始める。スミレとの最大の違いは、スミレは葉が直立するが、ノジスミレは葉が平開する。

 スミレを見ると、すぐにタチツボスミレと言いたくなるが、タチツボスミレは葉がハート型している。
 【 スズメノヤリ 】

 イグサ科の植物です。スズメの槍って、突き刺す刃物の槍ではなく、大名行列で奴さん?が持っている<毛槍>の事だそうです。スズメが使うくらい小さいってことでしょうね。

 普段気にも留めて貰えないような小さくて地味な花ですが、こうして大写しをすると、意外と可愛らしい。
 この角度は、山田寺のほぼ正面です。この右側に、土砂崩れで倒れた東の回廊が埋まっていた場所になります。
 【 東大谷日女命神社 】

 ひがしおやひめじんじゃ・・・あれ?東と書いて<やまと>と読むと言う人と、<あずま>だろうって言う人がいて・・・どれが本当なんだろうと思う。お願いだから、読み方も書いておくれ。ネットで調べても、色々だった。

 祀られているのは、神武天皇の后の一人(妻は沢山いたみたいね)だった女性で、大物主命の娘(姫蹈鞴五十鈴姫命:ひめたたらいすずひめのみこと)と言う話。

 畝傍山登山口にも同じ名前の神社があるらしい。今度はそこに詣でてみたい。(どちらが本家?)
【 東大谷日女命神社石造燈篭(国指定重要文化財) 】

 この石燈篭は四角型の古典的作例で、石大工行長作の清楚な名品として知られる。

 花崗岩(かこうがん)で造られていて総高2.28m、笠の幅76cm。反りがゆるく、全体に緩慢な曲線をとり、笠は18cm、角84.8cm

 竿の正面に善哉燈篭と呼ばれる四言八句の讃文を刻み、下部に銘文がある。右大工薩摩権守行長は、正平24年(1369)に吉野鳳閣寺の石宝塔を作っている。

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 と、但し書きがあった。

 

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