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〜 藤原宮〜朝堂院朝庭の現地説明会〜その1 〜
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2008年9月27日(土)

 両槻会のメルマガで藤原宮の発掘現地説明会がある事を知り、かねてより<古代食とその周辺>をずっと追い求めている私にとって、日本で最初に箸が見つかったとされている遺跡でもあり、これは是非参加させて頂こうと思っていました。

 両槻会事務局員:笑いネコさんと大和八木駅で待ち合わせして、昼食のパンを買いいざ出陣。(笑)

 八木駅からバスに乗って、橿原市立図書館前で降り(170円)そこから徒歩。飛鳥川を南下し、飛騨町の交差点の一つ東側の交差点を曲がって、藤原京跡へ。小さな公園のベンチに座り、パンを頬張りしばし休息。暑くもなく丁度良い気候で助かりました。
 左手奥の山が耳成山。赤い円で囲んだ部分が、現地説明会の場所。田んぼの間をここから縫うように歩いて行きました。もうすでに沢山の人だかりがだんだん見えてきました。(苦笑)

 土器土器・・・いや、ドキドキ(笑)
 飛鳥界隈、春は蓮華草、夏はホテイアオイ、秋は彼岸花とコスモス、冬は雪。と、四季を通じて楽しめる場所でもあります。藤原京跡界隈は田んぼが続いていますが、その所々にコスモスが咲いていて、稲のグリーンとコスモスの紅色がとても美しく、カメラマンの格好の被写体となっていました。
 受付をすると、アンケートと説明資料が頂けます。説明が始まるまで、今回出土した物を見せていただく事にしました。が・・・・すごい人で、なかなかその場から立ち去ってくれない人ばかりで、困り果てました。でも、なんとか隙間から?写真を撮影させてもらって、資料に付け加えようと必死でした。

 これは今回発掘調査をして出て来た運河から出土した馬、牛、犬の骨でした。しっかりした骨が残っています。説明では、材木を運んで死んだ馬や牛だろうと言う話でしたが、犬まで材木を運ぶとは考えられないので、私としては、食べたんじゃないかと思います。犬は、日本人の大事な食べ物の一つでもあった事は知られていますし・・・。でも、確かではありません。
 「Pちゃん、目的のはコレでしょ」と、両槻会の事務局員:真神原風人さんが教えてくれました。

 そうそう、コレですよ、コレ♪

 画像左から・・・ちゅう木、刀形(かたながた)、鳥形(とりがた)、糸巻(いとまき)の4種類だけでした。しかし、これを1300年以上も昔の人が手にしていた物だと思うと、とても愛しく感じました。木と言う温もりでしょうか。ちゅう木(漢字が出て来ません。難しいです。)は、一瞬「箸か?匙か?」と、ココロが踊りましたが、どうやらどちらでもないようです。今回注目したのが糸巻。綿花をこれから育てて糸紡ぎをしたいPにとって、これは喉から手が出るほど欲しい!!

 【ちゅう木】ですが、後日、風人さんから「あれはウンチをした後拭くトイレットペーパーのような物です」と、教えてもらいました。トイレットペーパー!?そっか、お尻のウンチをこれで拭っていたのね・・・。うぅぅ・・・見る目が違ってくる。(オイオイ
 これは土器の欠片たちですが、注目すべきは中央左寄りの瓶のような物。とても綺麗でした。

 「復元ですか?」と尋ねたところ「いえ、そのままの形で出土しました」とお返事を頂きました。驚くほど綺麗ですよ。さっき作ったばかりですって言われても頷けるくらい綺麗。(笑)

 【運河出土土器】
1.灯火器 2.漆付着土器 3.土馬 4.硯として使った土器 5.須恵器


 ここで少し補足をさせて頂きますね。


 【藤原京とは】

  694年、天武天皇の意志を持統天皇が受け継ぎ、710年元明天皇が平城京に遷都するまでの都。

 【今回の調査地】

  藤原京の朝堂院(ちょうどういん)の朝庭(ちょうてい)です。

  <大極殿院>
    天皇がおられる場所です。

  <朝堂院:ちょうどういん>
    貴族や役人がさまざまな儀式や政治を行った場所です。

  <朝庭:ちょうてい>
    朝堂院の中央の広場が朝庭で、儀式の際には、役人がここに整列しました。
    まるで映画の「ラストエンペラー」のようだったのでしょうね〜(*^^*)ポッ♪


 これまでの調査で、朝庭には一部礫(れき)を敷いて整地している事がわかりました。昨年の大極殿院南門の調査(第148次調査)では、礫敷の下に造営時の運河柱穴があることが判明し、下層遺構の状況の解明をするため2008年4月1日から調査が始まり、現在継続中です。




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