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〜 地下の正倉院展〜その1 〜
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2008年10月23日(火)

 <長屋王:ながやおう>と言う人物。私が多少なりとも考古学に足を一歩踏み入れるキッカケを作ってくれた人物です。

 「歴史なんて大嫌い!!」って言ってた私を、「歴史って、年表の世界ばかりじゃないんだよ。食べ物にだって歴史はあるんだし、植物だってそれぞれに歴史を背負ってるのさ♪」なんてね。カッコ良い事を語ってくれた長屋王の木簡・・・その特別企画展があるって、両槻会ももしゃんが教えてくれて、第一部の企画展に出かけました。これね、第三部まであるんです。来月の30日まで少なくとも3回は行かなければ・・・頑張ります。(笑)
 平城宮跡資料館へ向かうと、小学生の遠足とバッティング・・・あっちゃ〜(><)しばらく外の草花でも見ながら、待っていることにしました。。。

 曇天の空・・・平城宮跡より飛鳥方面を眺める。平城宮跡は広い!!建造物をせっせと復元なさっている工事中の建物が数箇所、左手にあるんですが・・・それって、必要なのかな〜と思う。何も無いからこそ、古代人が歩いてくるような錯覚も生まれ、ここに大きな建物があったんだろうな〜と、想像も出来る。が、それが現実に見えたら・・・ちょっと興ざめって思うのは、私だけでしょうか。

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道路に地図が埋め込まれていました。(笑)
私が立っているのは、この現在地。白い円の部分です。

地図でみると、朱雀門まで近いようにみえるんですが・・・
実際は、上の2枚目の画像右端に映っている林の向こうにあります。
「お〜い」と、叫んでも聞こえない距離です。(爆)

前後が逆になりましたが、今回もご一緒下さったのは、笑いネコさんです。
どんな話題を振っても、瞬時に的確なお答えを導いて下さる生き字引。(笑)
ホント。いつも助かっています。ありがとう〜m(_ _)m ペコリ

 これが復元している工事中の建物。やっぱり要らないよな・・・と、笑いネコさんと二人でブツブツ。現実味を帯びちゃったら、空想が貧弱になる気がする。(><)
 昔、奈良そごうがあった建物、今は何になってましたっけ?赤い円の部分の建物の下に長屋王の邸宅があったんですよ。この建物を建てる時、下から見つかりました。今日はその発掘された物が展示されているのでありますvv
 【トベラ】

 トベラ科 トベラ属

 当初、シャリンバイだと聞いたので、そう表記しましたが、後からトベラと言うことが判明したとメールを頂き、訂正させて頂きます。すみません。m(_ _)m ペコリ

 実は秋に黒褐色に色づき、やがて3つに裂開して、中から赤い種が粘液のような物に包まれて出てくるのだそうです。
 セイタカアワダチソウですが、二種類あるのだと笑いネコさんが仰ってました。最近、アメリカセイタカアワダチソウと言う種が見つかり、葉がザラザラしているのは、アメリカセイタカアワダチソウなのだそうです。これはザラザラしていないので、普通のセイタカアワダチソウとか・・・。植物も日々進化しているのですね。

 【セイカタアワダチソウ:背高泡立草】

 * キク科 アキノキリンソウ属

 一時期は気管支喘息を引き起こす元凶と言われていましたが、最近の研究で、それは誤りだった事が判明しました。花粉を飛ばして媒介するのではなく、虫に花粉を運んでもらう虫媒介だからです。

 可愛らしい一群に見入ってしまった。ミゾソバの小さな花たちです。

 薄紅色って、こんな色を言うのじゃない?なんとも愛らしい色でした。
 【ミゾソバ:溝蕎麦】

 * タデ科 イヌタデ属(またはタデ属)

 湿り気のある栄養価の高い場所に繁殖をする一年草です。

 花びらにみえるのは、実は咢(ガク)です。これは他のタデと同じですね。

 コレ、食べられます。新芽や柔らかい葉を、塩を入れた熱湯でサッと茹でて、水に晒してアク抜きをしてから、おひたし、ごまあえ、佃煮、油いためにして食べます。

  リュウマチには、この花の時期に刈り取って乾燥し、10〜20グラムを、水500mlで煎じて服用すると良いそうです。

 擦り傷や止血には、この葉を揉んで傷口につけます。
 【ジシバリ:地縛】

<ジシバリ>
 葉・・・小型で卵形になり切れ込みがない。
 柄・・・長い葉柄を持つ。

<オオジシバリ>
 葉・・・大型で細長いへら型になり羽状に切れ込みが入ることもある。

 柄・・・短い。

 したがって、これはオオジシバリだと思われます。
 【オナモミ:耳】

 * キク科 オナモミ属

 昔、原っぱで走り回っていた頃、洋服に沢山くっつく嫌なやつでしたね。<ひっつき虫>と呼んでいましたが、オナモミと言う植物です。近頃、あまり見かけなくなりましたね。まぁ、原っぱ自体もなくなりつつありますが。(笑)

 実はこの植物、農耕文化とともに渡来した史前帰化植物とされています。稲とかと一緒に、くっついて渡来したのでしょうね。ってことは・・・平城京が繁栄してた頃からずっとここに毎年育って来たかも知れない。な〜んて思うと、なんか愛しいと思えてくるから不思議ですね。(笑)
 【サクラタデ:桜蓼】

 * タデ科 イヌタデ属

 シロバナサクラタデ(白花桜蓼)と言うのもあり、そちらが本種なのだそうです。サクラタデは、ほんのりと薄紅色なので見分けられます。結構大きな草で、1mぐらいになる物もあります。
 【キンエノコログサ:金狗尾草】

 * イネ科 エノコログサ属

 コツブキンエノコログサって言うのもあるらしいのだけど、小さな粒の大きさなどで判断するので、見えないPはキンエノコログサとだけ表記させて頂きます。(涙)

 普通のエノコログサは、もっと緑っぽいので見分けがつきますね。

 造成地に多いのが、キンエノコログサなのだそうです。ってことは・・・エノコログサの方が野性味があるってことなのかしら?(笑)
 画像の山の中心部からやや左に薄い緑っぽい部分が見えますか?これが若草山です。その下に東大寺があるわけです。


 【平城京とは・・・】

   Q: 平城京っていつの頃の都なの?

   A: 711年(和銅3年)元明天皇が藤原京から遷都し、784年(延暦3年)桓武天皇の長岡京遷都までの
      75年間、ここに都がありました。

 【長屋王とは・・・】

  長屋王(ナガヤノオオキミ)と読むのが正しいらしい。(実は、知らんかったらしい・・・P)

    父・・・天武天皇の皇子である高市皇子(たけちのみこ)
    母・・・天智天皇の皇女である御名部皇女(みなべのひめみこ)

  サラブレッドの中のサラブレッドですやんねぇ〜。まるで光源氏のような殿方を、ついつい想像してしまうのであります。(笑)

  「親王」とは、本来、天皇の子または兄弟姉妹を言います。長屋王は天皇の孫にあたるため、本来長屋王は「親王」ではないはず。なのに木簡には「長屋親王宮鮑大贄十編」と書かれていました。親王と同じぐらいか、それ以上の権力を持っていた事になります。って〜ことはですよ、単なる飾り物的な人間じゃなく、頭脳明晰だったんじゃないかって思うわけですよ。

  頭脳明晰、きっと男前に違いない(これはPが勝手に想像)。そりゃ〜嫉むなって言うほうが無理かも知れない。権勢を我が物にしようと思っている藤原一族が、黙ってそのまま見過ごすわけが無い!!また、「日本霊異記(日本最古の説話集)」には、身分の低い僧を牙笏(ゲシャク:象牙で出来たシャク)で叩くような、傲慢な人間だから仏様は長屋王を捨て置けず、自決に追い込込んだのだ。(前世で位の高かった人であろうとも、お釈迦様の頭を草履で踏みつけた人の罪は重いのである。)と書かれています。さて、どちらが本当の長屋王なのでしょうか。。。


  【長屋王の変とは・・・】

  藤原不比等の娘を嫁にしている長屋王。不比等が生きていた時は、藤原不比等を親として立てていたであろうし、不比等もまた娘婿として、可愛がっていたのではないかと思うわけです。現代でもそうですよね、娘婿って意外と嫁の親と仲が良かったりします。不比等が没したあと、藤原四兄弟がだんだん長屋王が鬱陶しくなったとしてもおかしくはないですよね・・・。「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」と密告して軍勢を長屋王へとさしむけ、長屋王は妃と子を絞殺させて服毒自殺をした。言われ無き濡れ衣を着せられた上妃も子も殺さねばならなかった長屋王の無念さは、言葉に尽くせないものがあったに違いない。こう書いている私も、思わずワナワナと握りこぶしを・・・。(オイオイ

  いや〜しかし、ここで終わらないのがまたドラマチックなんですよ。長屋王が没したあと、この藤原四兄弟が後押しをして聖武天皇に妹の光明子を嫁がせ、妻の座から立后に仕立てるには、長屋王がきっと反対したのでしょうね。「理屈にあわない!!」とかなんとか、きっと性格も四角四面の几帳面な方だったにちがいありません。どうしても藤原の世にしたかった四兄弟。とうとうでっち上げを企てて、長屋王一族を・・・。しかし、天はそんな悪をいつまでも許してはいません。藤原四子政権を樹立するも、天然痘にかかり、四人とも没する事となる。これは無実の罪で自害させられた長屋王の怨念ではないかと噂される。

  現代にもその怨念がおんねん。(コラコラ)実はここだけの話し・・・長屋王の邸宅の上に建設されたドデカイ某百貨店が、華々しく開店したにも関わらず、ものの十数年で倒産と言う憂き目にあったのも、実は、長屋王の怨念だったのではないかとね・・・ヒソヒソと、みんなが噂するわけですよ。

  と、まぁ〜兎に角、いろいろ噂の耐えないお方が、ここの主、長屋王なのであります。


  で、やっと木簡の話が出来ます〜〜(*^^*)ポッ♪

  【長屋王家木簡】

  某百貨店を建設すべく、調査をしていた奈良文化財研究所の人がブルドーザーで掘り起こしをしているのを何気なくみると、なんと!木片があるのをみつけて、周囲を探ると、木簡の間に土があるような感じで、沢山の木片と木簡が出てきたそうな。

  《 長屋親王宮鮑大贄十編 》と書かれた木簡が出土。この文字に学界は衝撃を受けたと言われるくらいすごい発見だった。たった10文字。しかし、そこから広がる世界があった!!パパンパンパン♪

  長屋王へ、鮑(あわび)を贄(にえ)として・・・ってことは、鮑をお届けしましたよ〜って言う荷札木簡だという事はわかります。長屋王は先にも書きましたが、天武天皇の孫なので「王」とするのはわかるのですが、木簡は単なる「王」ではなく「親王」だと書いています。しかも、それは「贄(にえ)」だと言うのです。この贄(にえ)とは、天子(天皇クラス)に献上する魚や鳥などの食物だって言うわけよ。ってことは、やっぱり相当の身分として扱われていたって事がわかるわけです。大きな鮑が10編・・・ってか?(^¬^)じゅる〜。

  面白い事に、結構《 ・・・鮑・・・ 》って書いてある木簡が出てくるんですよ。相当鮑がお好きだったようですね、長屋王さん。私も鮑が大好きなので、至極羨ましく思いました。(^^;

   当時の1升・・・は・・・現代の4合(0.72リットル)・・・お茶碗8杯分に相当します。

  遷都まもない頃、長屋王は飛鳥で住んでいた頃の家を別邸としてまだ使っていた。家の事務(会計)などを取り仕切っていたのは、遷都した平城京の長屋王宅の家令(かれい)所だったようで、飛鳥から都の家へ行く人へ、木簡のお手紙を託したって事らしいです。

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  《 鏤盤所 長一口米二升  銅造一口二升半 右五人  帳内■(一)口一升  雇人二口四升》

  塔の露盤(塔の相輪)の製作を担当した人々へのお米の支給の伝票木簡です。
  
      責任者である<長:おさ>・・・・二升
      銅(鋳物)造り・・・・・・・・・・・・ 一人二升半 X 5人分
      帳内(雑用係?)・・・・・・・・・・・一升
      臨時雇い・・・・・・・・・・・・・・・・・二升 X 2人分

  責任者と臨時雇いの人のお米の支給が同じ・・・面白いでしょ。(笑)どうやら、労働の内容の軽重で、支給されるお米の量が違うって言うんですよ。今と随分違いますね。椅子に座って、ふんぞり返っている人が沢山もらっている現代とは、雲泥の差。これは見習って欲しいですよね!!そう、思いませんか?

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  面白い木簡を見つけました・・・

  《 子生犬一米一升受長麻呂 》 

  飼い犬に子が生まれたので、エサとしてお米を一升(今の4合)を与える。と言うのです。これまた、えらく多い気がしませんか?上の支給と比べると、何もしていないお犬様は貰いが多いらしい。しかし・・・飼い犬と言われますが、本当は食べるための犬だったかも・・・って考えると、沢山エサを与えて、大きく丸々と太らせて、美味しくい食べようって事だった???かも知れませんよ〜〜(^¬^)じゅる・・・(笑)

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  奴婢(どひ:下男、下女のこと)のIDカード(人物認識)木簡って言うのがありました。

  《 宇太万呂     ’   ’    ’     本(上下逆さまに書かれている)   》

  この<’>と<’>のスペースが、指の節と節を記した跡です。宇太万呂(うたまろ)と言う人物の人差し指の付け根に木片(木簡)を当てて関節の位置を記した。これは<画指:かくし>と言って、文字が書けない人を識別(署名代わり)する方法として用いられました。「本」と逆さまに書かれたのは、本と書いた方を指の付け根に押し当て、別人が書きましたよ〜って解るようになっているのだそうです。奴婢のためってことは・・・「逃げてもすぐにわかるんだよ・・・へへへへ・・・・」って事ですか???こっわーーー!!

・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・゜゜・*:.。..。:・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・゜゜・*:.。..。:


  さて、今回の一番の目的は何か!?そうそう、忘れるところでありました。(笑)

  今回、私が一番知りたかったのは、木簡に出てくる食物。いわば、長屋王がどんな物を召し上がっていたのかって事でありまして・・・。色々な物が見えましたよ。v(^^)

    《 柿子籠 》

   柿の子・・・柿の実の事です。これは柿の実に付けられて保管された事を意味しています。柿は中国から飛鳥時代ぐらいに伝来したと言われています。今で言うラ・フランスとか、マンゴーのような舶来の高級品って感じだったのでしょうね。(笑)

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   《 武蔵野国策覃郡宅■駅菱子一斗五升 》

   武蔵野の国、埼玉(さきたま)郡(現在の埼玉県北埼玉郡あたり)にあった宅■駅(宅子駅?)からのヒシの実の荷札木簡。一斗五升は、現在の六升にあたります。ヒシと言う植物は、浮き草の一種で、沼や池に浮かんでいます。その実はひし形をしていて皮がとても硬いのが難点。「別名:ウォーター・マロン」と言われるくらい中身は栗のように美味しいらしい。私は父が煎じ薬にするために、大きなハサミやペンチで割った経験がありますが、子供には結構大変な仕事でした。実が、まさか栗のように美味しいとは当時全く知らずに、煎じ薬のあの強烈な匂いで辟易。そんなに美味しいのなら食べさせてもらえば良かったです。(><)

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   《 大庭御薗進上青菜六十束駄二匹 一馬各三十束 》

   大庭(現在の大阪府守口市あたり)にあった薗(野菜や果実などを育てるために区切った土地、庭のこと)から進上(差し出す、献上)されたカブラ菜六十束を、駄(だ:荷負い馬)二頭。一頭に三十束運ばせました。と言う意味。


   <その他>

   *隠伎国軍布六斤・・・隠岐の国からワカメ六斤は、現在の約4キロに相当します。

   *近志呂五百隻・・・コノシロ(ニシン目ニシン科の魚)を五百匹。
 
   *片岡進上蓮葉三十枚・・・片岡(現在の奈良県香芝市あたり)から進上された蓮の葉。これは宴会の料理を盛りつける食器にするための葉かも知れません。これについて、以前私は記事を書いた事があり、それをご存知の笑いネコさんと、大いにあのレポの話で盛り上がりました。(笑)

   *進上瓜一隻・・・ウリが一隻(ほんの少しの意味か?)


 第一回目はこんな感じでした。木簡一枚で、いくつもお話が飛び出して非常に面白かったです。以前は、「ギョエ!!漢字ばっかりで、読めないやん!!」と、高校時代に習った漢文なんてトットト頭から抜け去っているPにとって、木簡の文字は絵文字に等しい物でした。しかし、両槻会の第九回定例会<木簡から見た飛鳥>で、奈良文化財研究所の市 大樹先生の講演をお聞きして以来、少しずつではありますが、見えてくるものがあり、これがなかなか面白いと思えるようになりました。まだまだ全体(意味)として捉えるのは難しいですけれど・・・(笑)。また第二弾・・・次回を楽しみにすることにします。(*^^*)ポッ♪

長々読んで下さり、ありがとうございました。m(_ _)m ペコリ




第二弾・・・へ

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