*- 小説:地獄長屋に陽がのぼる -*
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その2:仔猫

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「ごめ〜ん。ハッちゃんいてるかぁ〜」

玄関の格子戸が、ガラガラと音を立てたかと思うや否や、大きな声が響いてきた。

「誰かと思たら、キーやんかいな。まぁ、入り。」

「おう、ちょっと邪魔すんで〜」

キーやんは同じ地獄長屋に住んでる幼馴染。玄関と言うても、なにせ長屋やさかいそんな

に広ない。ものの数歩で上がり口やが、その上がり口までに1mほどの土間があり、土間の

先に高さ50cm程の上がり口の板間がある。そこにどっかりと腰を下ろしたキーやん、なにや

ら新聞紙に包んである物を開け始めた。何重にも大切そうに新聞紙に包んだその<物>を

差し出し自慢げにこう言いよった。

「ハッちゃん、今日は土用の丑やで、知っとったか?」

「知らいでか(知ってる)マムシの日やがな。」

「おおーー!!やっぱハッちゃんやな、よう知っとるのぉ〜。そこでや、ちょっと朝からチャリ

キ(自転車)走らせて鶴橋の市場へ行て参じた(行って来た)訳でな。朝1番の商いやからっ

て、安うしてもろてん。ほんで、いつも世話なってるからハッちゃんにも1匹食べてもらおう思

ってな。」

「ほうほう〜、すまんな〜。マムシかぁ〜久しぶりやな〜。マムシは高いよってに、去年の丑

の日は買えずやった。おばはん(妻)がケチってマムシの代りに言うて、鱧(ハモ)皮の酢の物

やったし。」

「おいおい、ハッちゃん、そんな湿気た話せんとき。今年は豪勢に1匹食べてんか。」

マムシ・・・そう聞いて大阪の人間以外はヘビの蝮(マムシ)を思い浮かべるやろうけど、大阪

では鰻(ウナギ)の事をマムシっちゅーんです。なんでマムシって言うか・・・ご飯の上にウナ

ギの甘辛いタレを掛けて、その上にウナギの焼いた切り身を乗せ、またご飯を乗せて、タレと

ウナギを乗せる。いわゆるご飯でウナギをまぶすことから、まぶしが訛ってマムシとなったらし

い。この甘辛いタレが上手くご飯にまざって、そりゃも〜香ばしいやら美味しいやらで・・・。あ

〜あかん、想像するだけで生唾ゴックンやがな。嬉しいな〜今年はええ夏過ごせそうや。。。

「ハッちゃん!ハッちゃんって!!あかん、ハッちゃん、ちょっと気持ちがどっかへ行っとる。

相当マムシが嬉かったんやな・・・ハッちゃんって!!」

キーやんに肩をポンと叩かれてようやく我に返った。いや、これは嬉しいな〜。今夜はマムシ

を食べて美味しいたくわんを齧ろかなと思たが、どうせなら昨日のあの猫にドタマ(頭)ぐらい

持って行ってやろかとおばはん(妻)を呼び付けた。

「安子〜!キーやん、美味しそうなマムシ持って来てくれたで〜。そんでなぁ〜ドタマはほっ

たら(捨てたら)あかんで、ちょっと訳ありで持って行くとこがあっさかいに(あるから)。念を押

すけどほったらあかんねんでーー!!判ってるかーー!!」

「うるさいな!!何遍も言わんかて、あんたより頭はええねん!それぐらい判ってるわいな。」

と、奥から手をブラブラさせて安子が出て来よった。その顔を見て私はもう〜びっくり仰天!

顔が緑色になっとる!!辛うじて目と口で安子やって判るけど・・・。

「なんやえげつない(凄い)顔して、一体どないしたんや!?」

「あんたはなーんも(何にも)知らんねんな〜。これはパックっちゅーねん。商店街を歩いて

たら、化粧品屋で試供品のパックくれたんや。うち、こんなん塗ったん初めてやわ。なんや

えろう(凄く)顔がつっぱんねんけど・・・。」

「そんなんつけても、もうすでに手遅れやがな・・・」と、言いたかったが、これを言うたら最後、

機関銃の如く反撃にあって、こっちはボロボロにされてまう。おおーー桑原、桑原。

マムシのドタマを広告の紙に包んで、私は昨日猫に出くわした公園までの道をキョロキョロ

と猫を探して歩き出した。せやけど、どこにも猫はいてへん。おかしいな・・・昨日は確かに

この辺りにおったのに・・・と、思った時、地獄長屋のドンつき(1番端)まで来ると、昨日の猫

がドテーー!!っと屋根の上で寝てよる。私はちょっと自慢げに猫を呼び付けた。

「おーい、猫!ちょっと降りて来んか!」

猫は片目を開けてチラリと私を見たかと思うと、手足を伸ばして大きなあくびをひとつついて

ひらりと屋根から降りて来よった。

「おっさん、昨日も言うたけど、うちにも名前があるんや!たんぽぽっちゅー名前がな!」

「おお、そうやったな。せやけどたんぽぽって言いにくいから、ぽぽにゃんでええやろ、な、

ぽぽにゃん」

「う〜ん、もうなんでもええさかい、猫とだけ言うのはやめてんか。ほんでなんや?呼びつけて」

「あのな、マムシのドタマ持って来たってん。美味しそうやで〜マムシやさかいな〜。」

「おっさん、持って来てもろて悪いけど、うち、目のある魚はあかんねん。苦手や!」

そう言うなりぽぽにゃんは後ずさりしよった。猫と言えば魚が好物やと思ってたのになぁ。

「おっさん、ちょっと悪いけど、それ持ってうちの後を着いて来てんか。」

折角持って来てやったマムシをどうすんねんやろかと、ちょっとぽぽにゃんの後を着いて

行った。

「おいおい、ぽぽにゃん、わし人間やからそんな狭い垣根の隙間は通られへんでー!」

こんな時の人間はあかんな・・・猫のように狭い所は通られへん。仕方がないさかい、ちょっ

と遠回りして長屋の裏側に回ってみた。ぽぽにゃんはもうすでにその道まで来ていて、また

頭をコリコリかいて待っててくれよった。私を見たらぽぽにゃんは、「早よ来い!」と言わんば

かりにまた歩き出した。ちょっと大きな通りを渡り、右手に曲がるとそんなに大きくない道やが

、道の真ん中に大きな木のある所に出た。道の真ん中に木!?と思われるやろうけど、この

楠木は、道路が出来る前から立っている木で、道路の拡張計画で切られるところ、切ろうとし

た会社の者が具合が悪くなったり事故にあったりして、今やご神木のように残されている木や。

昔、みーさん(ヘビ)が住んでいたという木の根元にはぽっかり穴があいてる。そこを覗き込ん

だら、小さな猫が3匹。にゃうにゃう言うて、なんとも可愛らしい。手に取ろうと思った途端ぽぽ

にゃんが、

「あかん!おっさん、手ぇ出したらあかんがな!人間臭さが仔猫に付くがな!」

あまりの剣幕に、思わず出した手をひっこめた。

「おっさん、野良猫に手ぇ出したら、人間の臭いが付きよるやろ。そしたら他の猫からイケズ

(意地悪)されよんねん。気まぐれに手ぇ出したらあかん。」

私は、なるほどな〜と思って、眺めるだけにした。

「ほら、おっさん、早よ仔猫にドタマやってんか。この仔猫、しばらく物食べてへんねん。」

よくよく聞いてみると、仔猫の親はぽぽにゃんの子やったらしいが、なにぶん大阪やさかい

、交通の往来も激しく、仔猫の餌を運んでいる間に自動車の下敷きにされたらしい。人間も

猫も住み難くなって来たんやな・・・。そんな話を聞いたら、なんや可哀想になってしもて、持

って来た広告に包んだマムシの頭を急いで取り出し、仔猫の前にそっと置いてやった。する

と仔猫はガツガツと音を立てて美味そうに食べよった。その姿を見てたら、なんや胸が熱うな

ってしもて、鬼の目にも涙やないけど、ちょっとセンチメンタルになってしもた。

「ぽぽにゃん、お前、この仔猫を育ててんのか?」

「いんや、育ててへん。うちは自分の事で精一杯やさかい。」

と言う割には嬉しそうな、満足そうな顔をしていたぽぽにゃん。

当初はぽぽにゃんにと思ったマムシのドタマやけど、仔猫にあげて良かったな〜と思う。

こいつら無事に育ちよるんやろうか・・・。ちょっと不安がある。せやけど、私も拾って帰っても

長屋暮らしには育てる事がでけへん。後ろ髪をひかれる思いでその場を立ち去った。その

後をぽぽにゃんが得意げに着いて来よる。ちょっと立ち止まって、さっきから気になった事を

聞いてみた。

「せやけどぽぽにゃん、お前、なんで魚の目が怖いんや?この間はイワシを盗ろうと思った

のに?」

「あれは、やむにやまれん事情ってもんがあってん。。。うち・・・昔は大きなお屋敷で飼わ

れててん。あの時はホンマ、幸せやったで。その時はジュリアって呼ばれてたっけ・・・。」

そういいながら、ぽぽにゃんはスモッグに曇った空を見上げた。

「大きなお屋敷で、何不自由なく暮らしてたんやけどな、そのお屋敷の持ち主が株で大損

しよった。で、夜にちょっとだけの荷物を持って飼い主は引越し。ごめんな〜って一言だけで、

うちはお払い箱。悲しかったで、ホンマ。そんな暮らしをしていたから、魚ってなもんは缶詰で

出て来たわけで、目のある魚なんか見た事もなかった。大きぃなってから魚ってもんを見たけ

ど、あの目はどうもこっちを見てるような気がして好きになれん。細かい骨も口に刺さるしな。」

なんや、ええとこの猫やったんかと、その時判った。

「ぅんで、イワシを襲ったんはどういう訳や?」

「襲ったやなんて、人聞きの悪い!あれはやな、近所の猫の具合が悪いって聞いて、体力つ

けさせたろう思って失敬させてもろたんや。でも、失敗してしもて・・・。しゃーないから(仕方が

ないから)魚屋の売れ残りを失敬して持って行ったんや。喜んどったで〜。野良猫っちゅーた

ら、自分で動かな食料にはありつけんさかいな。」

と、ちょっと自慢げにぽぽにゃんは顔を右手、いや、右前足でぬぐいよった。その毛並みは

よく見ると綺麗な毛並みやった。流石にええとこの猫やっただけあるわ。結構猫の癖に苦労を

しとるから面倒見もええんやろうなぁと感心した。


見上げると、スモッグに曇っていた空一面が真っ赤に染まってた。久しぶりに見た夕焼けは

、なんや知らんけど、ちょっと悲しく見えた。生きて行くっちゅーんは人間も猫も同じで、なか

なか難しいもんやな〜と思ったと同じに、時間がえらい経っている事に気づかされた。

「あかん、ぽぽにゃん。悪いけどわしももう帰るわな。またおばはん(妻)にドヤされる!」

そう言い残して、私は地獄長屋の家へと急いだ。早よ帰らな、大事なマムシをおばはん一人

で美味しく食べてしまいよる!かぁ〜えらいこっちゃがな〜!!この続きはまた今度。

ほな、さいなら。



☆この小説はフィクションです。登場人物その他はPの空想の世界。
くれぐれもPの日常と勘違いしないで下さいね。まぁ、日常とそんなに違いはおまへんけど☆

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