*- 冷たい雨 その5 -* *−−−−*−−−−*−−−−*−−−−* それから数日経っても、彼からの連絡は無かった。私はすっきりしない
気持ちのまま、一日一日を過ごしていたが、大学の講義を受けている時に 何気なく窓の外を見たら、さっきまでの青空が凄い速度で黒い雲で覆われ て行くのが見えた。もしかしたら雨?その時ある事に気が付いた。彼の下 宿に行った時、玄関に傘を忘れて来た・・・。彼は気が付いてないのかし ら、困ったわ・・・。そっか・・・チャンスじゃない!彼の下宿に行く口 実が出来たと喜んで、後の講義は上の空で聞き、大急ぎでバスに飛び乗り 彼の下宿へと向かった。空はさっきよりも黒く、辺りはもう薄暗く感じら れていたけど、彼に会えるその嬉しさで、いつ雨が降ろうと構わない気持 ちで一杯だった。チャイムなんてそんな高級な物はないアパートの下宿。 そのドアを数回ノックしてみた。あれ?留守?もう一度ノックしてみた。 暫くしてドアが開いて彼が・・・。彼は驚いた顔で急に外へ飛び出し、後 ろ手でドアを閉めた。「どうしたの?何かあった?」「ううん、そうじゃ ないんだけど・・・傘・・・忘れてないかと思って。ほらね、雨が降りそ うでしょ。で、思い出したのよ。傘忘れてたんじゃないかって」「え?そ うだっけ?」なにかよそよそしい彼の態度に、不安が不安を呼んだ。なん だか困ったような感じがして「あ、私の勘違いかも知れないんだけどね」 「ちょ・ちょ・ちょっと待って・・・」彼はドアを細く開けて中へ入って 玄関を探してくれた。その隙間から赤い靴が・・・。ドキッとした。それ から胸の音が鳴り止まない。その赤い靴から目が離れない。見ちゃ駄目! 胸の中で誰かが叫んでいる。それでも目が離れない。「あ、あったあった これだろう?」そう言った彼の言葉なんて、異次元の世界で聞こえている ような感じがして、心はもうここにはない。ただ一点を見つめている私に 気が付いた彼は「あ、あの〜あのさぁ〜」「言わなくても良いわよ。私だ って子供じゃないんだから。聞きたくない。だから何も言わないで!」私 は傘を引っ手繰るようにして下宿を後にした。いつしか雨が降り出してい て、彼から引っ手繰るようにして手にした傘をさした。広げた傘に雨が、 ポツポツと音を立てて、やがて周りの雨の激しい音に同調し、水溜りが広 ろがって行った。広がった水溜りは、隣の水溜りとくっついて大きくなっ て行く。まるで拭っても拭っても溜まって行く私の涙のように・・・。新 しい彼女のこと、聞かなくて良かった。聞いてしまったらきっと彼女を恨 んでしまったわ。赤い靴・・・それだけでもう充分。 今でも黒い雲と、冷たい雨が降る音を聞くと、あの頃の事が思い出され て、少しセンチメンタルな気持ちになってしまう。そう、今日のようなこ んな雨の日は・・・。 強引なまでの決断力で惹かれてしまった。でもそこには、私という人間の 気持ちはひとつも反映されていなくて、彼にくっついていただけの、まるで 蓑虫のような感じだったように思う。それからいつくもの恋を経験した今だ からわかる。青春のほんの一瞬の出来事だったと。 *- おわり -* |
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