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<醤:ひしお>について

醤は、東南アジアから中国、韓国、日本で色々な加工がなされていたようです。

中国や韓国ではどうか・・・
<醤:ジャン>と言えば現代では<味噌>を意味します。コチュジャンなんかそうですよね、コチュとは唐辛子の事で、ジャンとは味噌を意味します。勿論、ジャンは日本の味噌のように粘りがあります。

東南アジアではどうか・・・
ナムプラーが代表的な例で、あれは醤油のようにさらさらしています。小魚を発酵させたものの上澄みを、熟成させて作る<魚醤>と同じです。

日本ではどうか・・・
「令集解」大膳職(おおかしわでしき)の註解によると、唐醤や高麗醤の製法が準用されていたと書かれています。と言う事は、味噌に近いのか?とも思いますが、秋田のショッツルや能登のイシリのように、魚介類や甲殻類などで作られた醤があり、中国、ベトナム、ミャンマーなどの少数民族が作っていたとされる醤が共通のルーツだと言う学者さんもおられるようです。

奈良時代<醤院:ひしおいん>では、麹菌のプロテアーゼ(タンパク分解酵素)やアミラーゼ(デンプン分解酵素)などの作用で、大豆・米・麦のタンパク質とデンプンをアミノ酸やブドウ糖、アルコールに分解し、うまみ成分を生成させ、現在の醤油の原型となる物を作っていたとされています。わざわざ醤院なるものを作ると言うのは、当時相当醤の製造に力を入れていた、それだけ無くてはならない調味料になりつつあったと言えるのではないでしょうか。

ここから私の考えですが・・・
中国や韓国から伝わった味噌に近い醤と日本の海岸沿いで発達した醤油に近い醤が上手く適合して、日本独自の醤油の原型が出来て来たのではないかと思います。ただ、味噌に近い物は庶民には高嶺の花だったので、一般的にはまだまだショッツルのような魚醤が利用されていたであろうと想像しています。

平安時代の醤は塩分が非常に高く、唐醤は材料の20%の塩に対し醤は材料とほぼ同じだけの塩を利用していたので、平安時代の醤は液状だったろうと、廣野卓氏は<食の万葉集>に書いておられます。

正直、当初私は<液体>なんだろうか?と疑問を持ちました。なぜなら、大豆・米・糯・酒・塩・小麦を混ぜたらドロドロになるだろうって考えたからです。しかし、飛鳥資料館が発行している<万葉の衣食住>の中に、

「大豆・米・糯・酒・塩・小麦を原料として醸造した液体である」

と、わざわざ明記されていましたので、きっと上澄みを調味料として利用していたのだろうと推測しています。

*注釈:醤院・・「大宝律令」の中に宮内省の醤 院<ひしおいん>という所で大豆を原料とした「醤」がつくられていたという記録が残っています。

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