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両槻会(ふたつきかい) 第一回講演会
(平成19年3月31日)

 ネットで飛鳥と繋がった仲間たちと、何か出来ないだろうかと言う話から発足した<両槻会>が、第一回の定例会を行うことになりました。
 
 少し早めに行かれると言う笑いねこさんに便乗して大阪を9時に出発したPです。笑いねこさんとは橿原神宮前駅で待ち合わせ。

 30分ほど早く到着したPは、駅構内の喫茶店に行くつもりが満員でとりやめ。ワッフルを駅構内で買い、待合室で2個美味しく頂きました。しかし、まだ時間に余裕があったので、本屋さんで立ち読み・・・(^^;

 そこへ笑いねこさん登場!!「おはようございます〜」と話し始めながら、カメバスの乗り場へと歩く。
 橿原神宮前駅を出るとカメバスが待っていて、「もしかしたらTOMさんもこのバスに乗っているかも〜」と、笑いねこさんはバスの中を探して、後ろに座っているTOMさんご夫妻を見つけられました。

 カメバスって言うから、ズングリムックリの可愛らしいバスを想像していたPは「これがカメバス!?う〜ん、イメージが随分違うんだけど・・・。大阪の赤バス(小さくて可愛らしい)をイメージしてたんだけどな〜。笑いねこさんと一緒じゃなきゃきっとこのバスだって気づかずにずっと待ってたかも」

 以前はもっと小さくて可愛らしいバスだったそうなんです。しかし・・・色々事情があって現在の普通のバスになったとか。(^^;
 バスは甘樫丘を通り、明日香小学校に出る。そこから飛鳥大仏のはずが・・・飛鳥資料館へと進んだために、一同「えーー!?」と叫ぶ。しかし、バスの横にはちゃんとそう書いてありました。(爆)

 飛鳥資料館を引き返すようにバスは進む。飛鳥大仏のバス停で下車。ネット仲間憩いの場所である「飛鳥庵」は、飛鳥寺を突き抜けた裏手(蘇我入鹿の首塚)の右手前にある。飛鳥寺には見向きもせず(コラ罰当たり者!)飛鳥寺を目指してレッツラ・ゴー♪
 幹事のみなさんはもうすでに到着されていて、めいめい手持ちのお弁当を食べておられた。Pもお腹が減ったので(って、駅でワッフル2個食べたやん!?)朝から作ってきた<ゆかりご飯とオムレツ>を頬張ったのであります。

 そうしている間に、ぞくぞくとみなさん集まって来られて、もちろん初めてお会いする方もいらっしゃいますのでご挨拶などしました。

 さて、お腹も一杯になったので(オイ)飛鳥庵から明日香の村中を通って、今回の目的地<橘寺:たちばなでら>へと歩いて移動しました。

 お天気がとても良くて、初夏を思わせる暖かさ(いや、暑かった!)でございました♪
 記念すべき第一回定例会は、奈良大学の滝川助教授にお願いをして「吉野宮滝への道」と題し、菅原道真の「宮滝御幸記略」をめぐっての講義を受講しました。

 吉野宮滝の行幸を思い立ったのは宇多(うた)天皇。あまりメジャーな天皇じゃないので「え?誰?それ?」だったのですが、菅原道真がその家臣(って言うの?)だったと言うので、大体の時代が分かります。光孝天皇の7番目の皇子ってことで、本来なら天皇になる人じゃなかったらしい。臣籍降下(しんせきこうか)と言って、一般貴族と同じ扱いにされちゃった。しかし、何があったか知らないけど、父光孝天皇が亡くなった日に太子にされて、挙句の果てに天皇になっちゃったと言う、珍しい人物。(って、簡単に言っても良かった?)

 なんかそこにドロドロとした人間模様がありそうで・・・是非ドラマ化を熱望します。(って、誰に言ってる!?)
 この宇多天皇、急に吉野宮滝への御幸を思い立ったのが10年の天皇在位を終え、上皇となってからのお話。昌泰元年10月20日。京都平安京を22人で出立。途中鷹狩りをしたり、野遊して随分遊んだそうな。

 しかし、21日、ここまで一緒にお供し日記を書いてきた紀長谷雄(きのはせお)は、馬に右足を蹴られて足を怪我してしまい、後の日記を親友の道真に任せて半数の人たちと都へ帰ってしまう。

 で、ここから道真の文章で日記が続いてゆきます。奈良平城宮の重閣門(ちょうかくもん)の所に差し掛かったところ、道端に甘酒やお菓子、果物が置かれているのに気がつき、誰もいないことを良いことに一同食べ散らかしたらしい。(え?Pに似てるって?)実は、道真の知り合いである大安寺の僧安奚(あんけい)が、道真が来ると言うのでもてなそうと置いていた物だったそうな。まさか上皇まで来るとは思ってなくて、驚いて隠れて物陰からみてたのでしょうね。

 
 指折り数えて和歌をひねってはみるものの、数が足らず「3文字減らして〜」と言う人がいて、現代人と変わりないなと、笑いがこみ上げてきた。

 なにぶん急な思いつきで出てしまったゆえ、決まった宿さえもなく、食事とてままならない状態。お供の人たちはさぞや不安だったに違いない。

 「不定前途何処宿 白雲紅樹旅人家」

 前途を定めず、何処にか宿らん、白雲紅樹は旅人の家なり・・・そう風流人道真が漢詩の冒頭を詠んでみたが、その下の句を誰も詠じられず、歌の名士である長谷雄(馬に足を蹴られた人)の名を呼んだと言うシーンには一同爆笑。先生は「ここは風流な場面で、笑う場所ではないのですが・・・笑えますね」と。(爆)

 きっとお供の人も「急な出立で宿さえ決まってないのに・・・」と、泣くに泣けない場面でしょうね。(泣くどころか笑ってしまったが・・・)
 醍醐天皇から使者が着たけれど、使者まで帰らず一緒に宴会してたりして・・・ミイラ取りがミイラになる。いや〜人間くさい面白いお話です。平安貴族って、見栄ばかり張っているイメージがあったのですが、こんな人間くさい人たちも生きていたんだな〜と、なんだか身近に思えました。人が集まれば宴会・・・どこかで見聞きしたようなお話でした。(爆)

 講義の前に地図も含めて6枚にも及ぶ資料を作成し配布して頂きましたので、その資料を基にお話を聞くことが出来ました。

 歴史を知らないPでも、本当に楽しく聞かせて頂けた事に感謝申し上げます。歴史が一歩近くなったような気がします。
 歴史に興味がないワケではなくて・・・難しい文字や言葉を覚えきれなくて、ワケワカメになっているんです。中途半端になるならやめよう・・・なんて諦めたりね。(^^;

 歴史に触れる機会を沢山得ることが出来たなら、こんがらがっている糸口が解ける時が来るかも知れない。

 今は歴史について語る知識が無くとも、少しずつ覚える事を重ねれば、いつかはみんなのように話す事が出来るかも知れない。

 そう自分に言い聞かせています。(笑)

 そうなるには、やはり自分から機会を見つけねばならないのですよね。そう、自分から。
 橘寺を出て、竹田遺跡、石神遺跡と、今日現地説明会があった遺跡を巡って、発掘調査の資料を頂きました。

 発掘された土器などの展示もされていましたが、長い列が出来て時間も押し迫っていたこともあり、Pは脱落して一人花の写真を撮影して遊んでいました。(^^;

 最後に「飛鳥庵」に戻り、おばちゃん手作りのわらびもちやコーヒーを頂き、宴会組みと帰宅組みに別れました。

 久しぶりのオフ・・・有意義で充実した一日でした。

 両槻会幹事さん、滝川先生、本当にありがとうございました。m(__)m

 両槻会は、飛鳥が好きな人ならどなたでも参加可能です。詳しくは、両槻会公式HPをご覧下さい。

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