〜 両槻会第六回定例会 〜
2008年1月14日

* 西飛鳥古墳めぐりと男綱勧請綱掛神事 *
(その8)

飛鳥庵では、生ビール、日本酒などで大盛り上がりをみせ、参加者ではない仲間なども集まって来て、飛鳥庵には入りきれないで、寒空のした、外で歓談している人もいました。(^^;

夕方の6時・・・近所の人たちが集まってきました。私たちもカメラを抱えてとんどのやぐらに行きました。

村の子供さんが火をつける役で、上手く火が付けられるでしょうか・・・・。
火は、瞬く間に燃えて、赤々と炎が立ち上って行きました。
全体に火が回ったころから、周囲にもその熱さが伝わってきて、見る見る顔が火照ってくるのが分かりました。

「バキバキって音がするけどあれは何の音?」

竹の中の水分が膨張するのか、竹の爆ぜる大きな音がしました。

そんなに風は強くありませんでしたが、炎が風を呼ぶのか、炎は横に流れるような感じになっていました。

風に舞うように火の粉が降り注ぎます。ビニール製のジャンパーを着ていた人は穴が開くと困るって、逃げ回っておられました。(笑)
炎がやや鎮火しかけた頃、小さな提灯を持って来る人の姿が目立ち始めました。

とんど焼きの火を提灯に灯し、その火を家に持ち帰り、次の朝、その火で小豆粥を炊いて食べると、一年間無病息災で暮らせると言う話し。
とんど焼き

地域によって、呼び方は多少違うようです。とんと、どんと、どんど、どんどん、どんと、左義長(さぎちょう)なとど変化するようですよ。

Pは大阪生まれの大阪育ちなので、大阪の事しか知りませんが、大阪では焚き火のことを「とんと」と言いました。

このとんと(とんど)は火がついた時に「尊(とうと)や、尊(とうと)」と囃したてたことから、とんと焼き、とんど焼きとなったのではないかと言う説が有力みたいですね。

毎年1月14日の夜、お正月に飾った注連縄や書初めなどを燃やし、その周囲では、炎で焼いたお餅が振舞われたそうです。が、今はお餅の代わりにカップラーメンやお菓子などが、お神酒と一緒に振舞われているようです。

 炎が下火になったころ・・・帰り支度をし始めました。

 私とたけさんは、太郎さんの車に乗せて頂いて、橿原神宮前駅まで行き、そこから
 亀のようにのろい(人身事故の為)特急に乗り大阪の最寄り駅へ帰りつきました。

 久しぶりの飛鳥をゆっくり歩けて、とても楽しかったです。

 朝、初めて会ったばかりの人と、帰る頃にはすっかり仲間になっていて笑いあえる・・・。
 いつも思う事ですが、飛鳥には不思議な何かがきっとあるんだと思います。

 飛鳥の風と、飛鳥に集う仲間と・・・また思い出が一つ増えました。
 両槻会事務局員の皆さん、本当にお世話をありがとうございました。m(__)m
 また次回も宜しくお願い致します。

 <両槻会>は、飛鳥好きの仲間です。会員制ではありません。
 誰でも好きな定例会に参加する事が出来ます。(事前の申し込みは必要)
 飛鳥好きの仲間が、より飛鳥を楽しむための集まりであり、事務局員さんも
 ボランティアではなく、共に楽しむ存在です。

 社会的地位、年齢、性別・・・全く関係ありません。
 純粋に飛鳥が好きだと仰る方は、一度ご参加下さい。

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 レポ中の説明は、当日頂いた両槻会の資料からも一部抜粋させて頂きました。
 なお、不勉強Pの為、間違い箇所もあるかも知れません、ご了承下さい。

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