*- 小説:地獄長屋に陽がのぼる -*
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その5:盗人

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  今日も朝早よう目が覚めて、嫁はんが起きて来ん間に庭の手入れをやって

いた。庭木と言っても、そんなに大きな木は育てられまへんので、桜の木以

外は雑草に毛が生えたような鉢植えの花がらを摘んだり、ちょっとはカッコ

ええように枝の剪定をするぐらい。せやけど、このまだ誰も起きて来ん間の

なんとも言えず静かで、打ち水をした上を吹く柔らかい風が好きやったりす

るんです。地獄長屋に生まれ育った私は、もう半世紀以上ここの住人をやっ

てますが、ここから出て行こうとは思いまへんねん。周りも同じ感覚でいて

るようで、長屋を出て行った人はまだおりまへん。地獄長屋と愛称がついた

のにはちょっと訳があります。戦後の混乱期、誰もが食べ物がのうて(無く

て)ひもじい時代、長屋に一人の盗人が迷い込んで来よったんですわ。それ

を見つけたんが私の父である泰三やった。身なりをみたら、長屋の連中とえ

ろう変わらへん感じやったが、その盗人よほどひもじかったんやろ、私の家

の台所に黙って入って、御櫃(おひつ)の中のご飯をガツガツと食べはじめ

よった。ご飯言うても、今のような白米やおまへんで。麦に大豆や芋を混ぜ

て量を増やしたもんやったんやが、当時はこんな物でも美味しいと思った。

食べられるだけ有難いと思ったもんです。なにせ、闇市ではべらぼうに物が

高く、我々庶民では手に入れる事が出来まへんでしたからな。その盗人は、

御櫃に入ってるご飯を一粒残らず平らげてしもて、腹一杯になってしもたら

しい。アホな事に台所で寝てしまいよった。長屋の台所は玄関と一体化して

あって、店の間や奥の間からは死角になっとる。きっと気持ちが緩んだんで

っしゃろな〜。コックリコックリ寝てしもて、オマケにイビキをかきはじめ

よった。いくら死角になってるからっちゅーても、狭い長屋の家や、すぐ横

の店の間に寝てた泰三の耳に届かん訳がない。泰三は一瞬自分のイビキか

と思って目を覚ましたんやが、起きてもまだイビキが聞こえよる。こそっとガ

ラスの戸を開けて玄関を見ると、見知らぬ男が御櫃を抱えて寝てくさる。驚

いたけど、のんびり屋の泰三はそっと側に寄って、その盗人の手をしっかり

と掴んでから耳元で「ご飯、上手かったやろ」って、言うたんや。腹一杯に

なった盗人は動きも鈍くなってしもとったんやろな、虚ろな目で泰三を見て

「しまった!」と我に返ったのはええけど手をしっかり握られてるから、も

がいても逃げられんかった。泰三はのんびり屋やけど、軍隊で鍛えた強靭な

力の持ち主。盗人は手を離させようと足をバタバタ、身体を右や左にかわそ

うともがいたが一向に手を離してもらえんかった。そのもがいた時に、あち

らこちらに置いてある鍋を蹴ったり、皿を落として割ったりしたもんやから

えらい音が鳴り響いてしもて、長屋中に知れ渡ってしもた。長屋のあちらこ

ちらから人が集まって来て大騒動!!頭に鍋を被とるヤツ、片手にすりこ木

もう片手には鍋のフタを持ってるヤツ、オマケに寝巻きの前を開けっぴろげ

にして枕を持っとるヤツまで来とる始末。狭い台所兼土間は、「もうコレ以

上入れまへんで!」と言うくらい満員御礼状態。さすがに盗人も堪忍したよ

うで、もう暴れることを止めてしまいよった。まぁ、暴れるスペースが無く

なったって言うのが本当かも知れへんけど。

 盗人は正座して、背中をエビ以上に丸めて頭を垂れよった。そこで泰三は

ちょっと話を聞いてやろうっちゅう気分になったらしい。

「おまはん(あんた)、よっぽど腹空かしてたんやな。ちょっと訳言うてみ

。正座しとるっちゅーのは、ちょっとはすまなんだと思っとるんやろ。」

「えろうすんまへん!!大阪で一旗揚げたろと思て、田舎から出て来たんで

っけど、身よりも知り合いもない田舎者に働く所なんておまへんでした。あ

っちこっちと行ったけど門前払い。腹は減るし、寝る所かてありまへん。で

、ぼーっと歩いていたらこの路地に迷い込んでしまいましてん。お稲荷さん

でちょっと手を合わせてふと見たら、この家の戸がちーとばかし開いてまし

てな。悪いと思いましてんけど、中を覗かせてもろたら御櫃が目に飛び込ん

で来よりましてな〜。もう〜腹と背中がくっつくかと思うくらいやったから

ちょっと失敬してよばれ(戴き)ましてん。ほんま、堪忍です。」

盗人はそう言って、なんべんもなんべんも頭を土間へこすり付けんばかりに

下げよった。泰三や駆け付けた長屋の連中は、その話しを聞いて身につまさ

れたらしい。根っからの大阪生まれって、そない多くない。みんなどこかの

田舎から出て来よった連中やったさかい、自分の身を置き換えて考え込んで

しまいよった。その内、誰かが言い出した、

「せや!大家の忠さんに相談したらどないや?忠さんは面倒見のええ人やさ

かいに、相談に乗ってくれはるんやないか?」

「せや、せや!忠さんを誰か呼んで来たってんか!」

この辺りの長屋を持ってる大家の忠さんは、長屋の連中からは信頼されてい

て、道修町(どしょうまち)の大きい薬問屋の主人。人のええ忠さんの力添

えで、なんとか盗人を更正でけんかと思ったらしい。

「えらい人が集まってまんねんな〜。ちょいとごめんやす。」

大家の忠さんが巾着袋をぶら下げてやって来た。大勢の人数やさかい、忠さ

んの大きな腹が邪魔して、なかなか中へ入って来られへん。人をかき分け、

かき分けようやく中へ入った忠さんやったが、みんな口々に言うもんやさか

いに要領が得ん。

「おまはんら、ちょー黙っとってくれ。そないにみんなが一斉に喋ると、い

くら聖徳太子の生まれ変わりや言うても、理解でけへんやないか。誰か代表

で話をしておくれ。」

事のはじめから知っている泰三が代表で口火を切り、さいぜん(さっき)の

経緯(いきさつ)を忠さんに話してみた。さすがに大店の主人、物分りがえ

え。ポンと手拍子ならぬ腹鼓を叩き、「任しとき!」と言ってくれた。どこ

からか拍手が起こって、なんやみんな我ごとのように喜んだらしい。その時

盗人が言うた言葉が「地獄に仏とはこの事でんな!」って訳や。地獄に仏長

屋っちゅーのも長ったらしいよってに、短く<地獄長屋>となったそうや。

私のまだこんまい(小さい)頃の話。この話をしっとるヤツも少のうなって

しもて・・・。最近では<地獄長屋>っちゅーのは、地獄の閻魔様も逃げ出

すくらい貧乏人が住んでる長屋やって思っとるヤツが多いんとちゃうやろか

。ほんまはちゃいまんねんで〜。みんな苦労してるヤツばかりやから、人情

が厚うて涙もろい。困った事があったらみんな助けおうて暮らしてる。貧乏

やが、気持ちはすっきり青空や。この青空な心は盗人かて盗めまへんわな。

え?「その後の盗人は?」ってかいな。盗人はその後、忠さんの口利きで、

道修町にある米屋に住み込みで奉公に上がり、一生懸命に働いて今やその

店の小番頭さんまでになりよった。その時助けてもろた恩義っちゅーもんは、

いっぺんも忘れた事がないっちゅうて、月に一度は地獄長屋のお稲荷さんに

お参りに来よります。大きな大きな握り飯を持って来ては供えて帰りよりま

すねん。長屋のみんなもその姿を見ては、なんや我事のように嬉しいらしい

てな。今の世の中ではちょっと考えられんくらい、のんびりしていた頃の話

ですわ。

「あんたー!いつまで庭木をいじくってんねんな!早よ朝ご飯食べておくれ

やす。片付かんでこまりますがな!」

「おお!すまん、すまん。」

アハハ、また怒られましたわ。口ではポンポンあない(あんなに)言います

けど、うちの嫁はんも気持ちは青空でんねんで。ほら、今日のお天気みたい

にな。ほな、ご飯食べて来まっさ。はばかりさん(失礼します)。



☆この小説はフィクションです。登場人物その他はPの空想の世界。
くれぐれもPの日常と勘違いしないで下さいね。まぁ、日常とそんなに違いはおまへんけど☆

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