*- 小説:地獄長屋に陽がのぼる -*
***
その3:夏の日とおばあちゃん

**************************


  朝の水撒きを終えて、縁台にヨッコラショと腰を落としてみた。路地にも水を

撒いておいたので、そこを渡る風は幾分涼しい。夏の太陽は早く登ってくれる

ので朝の6時でも充分明るい。これがまた嬉しいがな。冬はそう言う訳にはい

かん。太陽も登るのが遅いから、なんやいつまでも夜が開かん気がして、辛気

臭いし寒いしで、目まで開いてきよれへん。やっぱり夏がええな〜。そんな事

をぼーっと考えてたら、ある夏の日の出来事を思い出した。そんな時に、後か

ら声がかかった。

「おっさん、なにぼけっとしとんねん。」

「あ、なんやぽぽにゃんかいな。いやな、ちょっと思い出してたんや。お前に

もちょっと話をしたろか。ちょっと隣に座りぃな。あの日も暑い暑い日やった」


そやな〜年のころは70歳過ぎてはるかいな?こざっぱりした恰好に前掛け(

胸当てのついてないエプロン)したおばあちゃんが、私の横を通って格子戸を

あけ、私の家の中へ入って行きよった。私は慌ててその後をついて行き声を掛

けた。

「おばあちゃん、なんか用事か?」

そんな声も聞こえんような感じで、履いて来た下駄を脱いでさっさと上へ上が

りよった。これには面食らった。全く面識のないおばあちゃんやさかいなぁ。

一体何が目的で家に来はったんやろと、私はそのままおばあちゃんを観察する

事にした。長屋は店の間と奥の間があって、店の間は4畳半、奥の間は6帖に

1間の押し入れがある。まぁ、今の団地サイズの畳やないさかいに、これでも

夫婦二人ならそこそこ暮らせるスペースやと思う。その店の間と奥の間はふす

まで仕切られていて、取り外しが利く。水撒きの音が煩いと嫁はんが起きて来

てあれこれ用事を言い付けたら困るさかい、朝はふすまを閉めてある。太陽の

光りは家の中へあまり入っては来よれへん。薄暗い店の間にそのおばあちゃん

がぽつんと立ってる。なんや気持ち悪い景色や。。。店の間には丸いちゃぶ台

と小さな食器棚しかあれへん。泥棒かて何にもなくて可哀想やって、何か置い

て行ってくれそうな物のなさやさかい、別に誰が来ようと心配はないけど、な

んかこのおばあちゃんには訳があるような気がして追い出す気にはならへんか

った。薄暗い所に立ってるのが可哀想やと思い、電気をつけてやり「まぁ、座

りぃな。」と、諭す様に座らせて、ちょっと出がらしやけどお茶を出してやった。

「おおきにぃ〜」

おばあちゃんは丸いしわしわの顔に一段と皺を刻みながら満面の笑顔でそう言

った。その笑顔がなんともかえらしい(可愛らしい)。

「おおーー!!おばあちゃん、口が利けるんかいな。さっきから喋らへんし、

こっちが話しかけても返事せーへんから、一体どないなってんねんって思った

で。なんやそうか、話でけるんやな。安心したわ。」

私までなんやほっこりしてしもて、世間話でもしてやろかって気になった。が

、私より先におばあちゃんから話が始まった。

「うちな〜、家に帰ったら嫁に怒られるねん。いつも嫁がいけず(意地悪)す

るさかい、家が嫌やねん。うち、何にも悪いことしてへんで。おとなしいぃ〜

してるけど、それが気に入らんっちゅーねん。」

「おばあちゃん、ところでお名前は?どこに住んではるん?」

そんな問いかけには一切口を開かない。なんやおかしい・・・。

「あ、はばかりさん(トイレ)どこにあるんかいな。ちょっとはばかりさん貸

しておくれやす。」

「あ、土間の向こう側や。ちょっと板間が狭いよってに気ぃつけて行きや、は

まらんようにな。」

すると、暫くしてトイレの中からカラカラカラ・・・と、音がし出した。何の

音かいな〜ってよくよく聞いてみたらトイレットペーパーをクルクルと出して

る音やないか。それが長い間鳴ってる。ええ??と思ってノックをして

「おばあちゃん、どないしたんや。なんかあったんか?ちょ、ちょ、ちょっと

開けるで!」

丁度ドアのカギはかかってなかったので、中を覗うようにドアを開けたら、そ

のおばあちゃん、トイレットペーパーを手にグルグル巻いて、慌てて前掛けの

ポケットに押し込んだ。

「おばあちゃん、そないに仰山(沢山)紙持ってどないすんねん。」

「うち、何にもしてない。うちは何にもしてないさかい。うちは悪ぅない!」

慌ててそのおばあちゃんが逃げ様としたから、これは益々おかしいんちゃう

やろかと、私も慌てておばあちゃんを店の間へ手を引いて連れて行き、大急ぎ

で警察に電話した。

「あの〜もしもしぃ〜、今ちょっと変なおばあちゃんが来てますねん。急いで

来てもらえまへんか。」

「こちら電報局です。警察は110番して下さい。こちらは115番です。」

「あ、えろう〜すんまへん。」

私も相当慌ててたんやな。警察と電報局を間違えるやなんて。恥ずかしい!

ちょっと深呼吸してからもう一度電話をしてみた。今度は上手く警察にかかっ

たが、なんて説明したら良いものか・・・。最初から話をしてみて、すぐに警

察が来てくれることになった。しかし、こんな時の待ち時間って長く感じる。

ましてや、そのおばあちゃんは逃げよう、逃げようと、私の手を離すようにす

るし・・・。逃がしたら私も困るさかい、手を持ちながら、また世間話をして

みた。お嫁さんの話をしたら、これが上手く話に乗ってくれてホッとしたで。

どうもこのおばあちゃん、ボケてはる。せやけど・・・ボケてても息子の嫁の

悪いところはしっかり覚えてるんやな。みんな忘れてしもたら幸せなんやろう

にと、私は少し悲しい気がした。そうこうしていると、おまわりさんが到着。

一気に力が抜けてしもた。おまわりさんは無線でなんや言うてはる。私には

暗号のような感じにしか聞こえんかった。。。

「えろうお手数おかけしまして・・・。このおばあさん、捜索願が出されてま

したわ。徘徊の常習犯らしいでっせ。可哀想やけど、とりあえず警察署へ連れ

て行きますわ。また追って、息子さんからお礼があると思いますさかいに。」

そう言って、おまわりさんはおばあちゃんを連れて行ってしもた。私はなんか

心がホッとすると同じに、また家に帰って息子の嫁にきつう(強く)怒られる

んやろな〜と思った。それから幾日も経つけど、その息子さんからは1度も連

絡なんてない。礼を言うて欲しいとは思わんけど、連絡もないっちゅう事で、

その家でおばあちゃんがどんな暮らしをしているのかが判ったような気がする

。いつかはみんな年をとる。私もそうなんねんやろか・・・ちょっと怖い気がする

なぁ。。。

「おっさん、そんなこと、今から考えんでもええわいな。そんな事よりも、ボ

ケへんように、日々楽しゅう頭の活動をさせとき。そろそろ奥の間が吼えるん

ちゃうか。しらんで〜、怖いで〜、怒りよんで〜。」

「おいおい、折角ええ話してるっちゅーのに、おばはんを出して来るな!」

私は慌てて縁台を立ち上がり、下駄の音を立てて家に入って行った。どうやら

これが悪かったらしい・・・。下駄の音で目が覚めた嫁はんが奥の間で怒鳴っ

とる!!

「あんたーー!!朝からウロチョロと、何処行っとったんや!!色々してもら

う事あんのにからに!」

おおー怖わ〜。ほな、また今度。


☆この小説はフィクションです。登場人物その他はPの空想の世界。
くれぐれもPの日常と勘違いしないで下さいね。まぁ、日常とそんなに違いはおまへんけど☆

*- 前へ戻る -*   *- 続きへ -*

*- HOME -* 


Graphic by Pari's Wind